2006年10月29日

本日サマータイムが終了。今日の未明から時計の針を1時間戻すので、1時間長く眠れる日です。このため、夕方になるとこれまでよりも早い時間に暗くなってしまいます。ヨーロッパに冬の到来です。しかし、10月末にしては生暖かく、気候変化の影響を強く感じます。

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ニューヨークタイムズの軍事記者で、イラク戦争に従軍したマイケル・ゴードンが書いた「COBRA 2」をようやく読了。600ページもあるので、読むのにずいぶん時間がかかってしまいました。COBRA作戦とは、第二次世界大戦中に、パットン将軍がドイツ本土に突入するために行った侵攻作戦のコードネーム。このため米軍の統合幕僚本部は、イラク侵攻の先鋒部隊の作戦名を、COBRA 2と名づけたのです。今回も電撃作戦は功を奏し、バグダッドはあっという間に陥落しました。

サダムフセインは、元々アメリカによる大規模侵攻よりも、シーア派などの不満分子による反乱を最も恐れていました。このため、反乱が起きた際に、国内の主要都市のバース党幹部らに大量の武器を供与し、バース党や民兵組織が、バグダッドから戦闘部隊が来るまで反乱軍の攻撃に持ちこたえられるような、分散的防衛体制がとられていました。米軍がイラクに侵攻した時、最も激しく抵抗したのは、共和国防衛軍などの正規軍ではなく、こうした地方のゲリラ部隊でした。この分散型防衛体制が、今も米軍を悩ませています。

この本から、米国がイラクの統治に十分な人的資源を配分せず、戦闘終了後の復興やインフラ再建を軽視していたことが、はっきりとわかります。イラクほど大きな国を統治し、各地の武器庫を管理するには、36万人では不十分でした。

特に、米軍の占領当局CPAが、イラク軍を解体し、30万人のイラク将兵を失業者にしたことは、抵抗勢力に加わるイラク人を増やしたことが理解できます。現在のイラクの惨状の最大の責任は、兵士の数を減らして、「21世紀の新しい米軍」像を実現したかったラムズフェルト国防長官とCPAのブレーマー代表にあると言えます。そう考えると、ラムズフェルト国防長官がいまだに辞任していないのは、驚くべきことです。

ブッシュ大統領が初めてベトナム戦争との類似点があることを認めるなど、アメリカも事態の悪化を認めざるを得なくなってきました。大統領がベーカー元国務長官ら外部の人間に、今後のイラク政策について諮問していることは、ブッシュ政権の遂行能力、統治能力がいかに低くなっているかを、浮き彫りにしています。

おそらくアメリカは人命の消耗に歯止めをかけるためにイラクから撤退し、イラクではかつてのアフガニスタンと同じく内戦が勃発し、シーア派、スンニ派、クルド人地域に分裂するでしょう。これでは、イラクがアフガニスタンのように「破綻国家」となり、イスラム系テロリストが跳梁跋扈する出現拠点になる可能性もあります。イラクに侵攻して大量破壊兵器を発見できなかっったアメリカは、逆にこの戦争によって、テロリストの巣を増やしてしまうという結果を生むかもしれないのです。

9月11日事件という、未曾有の規模のテロが起きた時の大統領が、よりによってブッシュ氏という無能な人物であったというのは、アメリカにとって大きな不運でした。